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神の全てものへの許しと言う観点はまずあるのですが
その中に"これを許す"と言うことで結果その許しが許しのように見えてその実は甘やかしである場合
甘やかしはマイナスを生みます。そこには自助努力の思いが存在しないからです。
マイナスを生むのならそれは結果的には愛でも許しでもない・・と言うことになります。

神の愛や許しはそういうものではありません。
時として厳しいのです。ただそれも私たちにはそう映ることがあるのです。
ただ厳しい愛として・・
そういう一見許しではない苦だったり別のもののように見えてその実、
それこそが真なる許しとなる・・そういう神の許しがまたある・・と言うことをお伝えしたかったのです。
ルシファーはその厳しい愛の許しの中に今あるのであって反省も改心もなくただただ許されると言うことは
ないのですよと言うことをお伝えしたかったのです。
それは法則でもあり、私たちにおいてもあてはまることです。

神の真なる許しとはそういうものです。
地上で一般的に言われている許す許さないそういうものを超越しており感覚的に非常に難しい所はあると
思いますが気づきによって誰でも本来の神の子としての自分を取り戻せると言うお導きも必ずあるのです。
全てのものが神の愛の中なのです。
しかもその愛はいかなる場合においても適切な愛である・・
根本神とは大宇宙の法だからです。
そしてもう一点・・天上の天使たちの地獄への救済活動はこうしている間にもされているのです。
そのことを忘れないでほしいのです。

皆様方は地上で生きていたその時のままの思いをあの世にもって還るのです。
どれくらいの方々が地獄界へ行っているかご存知ですか?
だからこそこの地上での目覚めがとても重要なので私たちはメッセージを送り続けているのです。

亡くなって地獄界へと行ってからでは遅いのです。救済が大変困難な作業になるからなのです。

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2002年10月9日 受信者 happyさん
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