こんにちは。弥栄の掲示板のみなさま。

これまで、この掲示板を通してたくさんのメッセージを書かせていただきまして、本当にありがとうございました。
発信したメッセージの内容が波紋を呼ぶであろうことも、一部の方々には衝撃であることも承知の上で書かせていただきました。
テラさんには本当に感謝しています。


これまで、極秘扱いにされてきた伝えるべき情報、必要なヒントはすべてお伝えしてきたつもりです。
これ以上書くことはありませんが、最後にひとつだけ聞いてください。

なぜ神々は多くの人々に壊れてゆく未来の地球の姿を見せたのだと思いますか?
ご存知かと思いますが、私たちが存在するこの次元を三次元だと仮定すると、チャネリングとはそれより上の次元の方たち(あえて神々とは書きません)と意識で交信することをさします。

問題は情報源がどの次元の存在なのかということです。

歴史上の偉大な予言者といわれる方たちも含めて、予知やチャネリングをする方の大半が四次元か五次元ぐらいの比較的人間界に近い神々との交信にとどまつています。
これはある意味、人間である以上しかたのないことなのです。

そして、この次元からの情報は、より高次元の存在からみれば、射程距離も短く、底の浅い情報に過ぎません。
たとえば地上を這うアリには目の前に横たわる河がとても大きな障害物に思えるでしょうし、道はそこで途切れているように見えるでしょう。

ところが大空を舞う鳥の目には、もうすこし歩けば橋がかかっていることや、その河の向こう岸にある砂糖の山がよく見えます。


予知もチャネリングメッセージもこれと同じです。
人間界に近い神々の目には、このままゆけば、十中八九、地球は崩壊してゆくという部分しか見えません。
その向こう側にある高次元の動きによる救済を見ることができないからです。

大事なのはそうした崩壊してゆく未来を見たとき、何を選択するかということなのです。
神の意志、あるいは地球の意志であれば崩壊もまた運命だと受け入れた方が大半だったはずです。
その崩壊にともない、自分の愛する者の死も運命だと受け入れるのは、いっけん神意に叶うように見えますが、それは真剣に未来を見詰めていない、もしくは本気でひとを愛していない、もっと突き詰めれば本気で生きていないということではありませんか?

なぜ、すべてを投げ出しても、愛する人を守ろうという選択をしないのですか?
愛する者の笑顔を守るためなら、運命をその手で切り開くという強い意志を私たちが持つことを、長い、気の遠くなるほど長い時を越えて、高次元の神々は待っていたのですよ。

大切な者を愛するというところからしか、真実の愛は生まれません。
それがあって、はじめて身近な人々や自然、ひいては地球や宇宙への深い愛と感謝という思いにつながるのです。
自分自身や身近な存在をないがしろにしながら地球や宇宙への愛を説いたところで、そこからは何も生まれません。
愛する者を守りたい心が、崩壊をふせぎ、希望に満ちた未来を生む原動力になるのです。

かつて、それを実行したのはモーゼでした。二千年も先の未来の救済にすべてを賭けました。
その源は愛です。
自分の子供や孫、その子孫、そしてそれらを育むまわりの人々や自然・地球・・・未来につながる愛が、モーゼにそれを選択させたのです。


わたしたちが高次元の神々から問われていたのは、本気でひとを愛していますか、ということだったんです。
それはとりもなおさず、わたしたち人類の心の年齢が問われているということです。
能動的に未来を切り開く意志を持つ年齢になったかどうか? 

それができたとき、あるいはできるであろう可能性を人類の中に見出したとき、神々は待ち望まれていた宇宙の中心を人間に作らせてもよいと判断したのです。

このような多くの人々の心の混乱も、高次元の神々には当然わかっていたはずです。
それでもあえて、神々=宇宙神たちはこのタイミングですべてを実行に移しました。
知らずに自分の使命を実行させられていたひともたくさんいるはずです。

衝撃を受けていらっしゃる多くの方々に伝えたいのは、何にもとらわれない澄んだ心で、もう一度自分自身を振り返って欲しいのです。
あなたは、本気でひとを愛していますか? 

最後になりますが、サナートクマラさまのメッセージをお別れのご挨拶にかえさせていただきます。


キョーコさんのお別れの言葉
2002年9月28日 
.
.