以上です。
何かいろいろ調整があったようで…、
新潟の神社で黄龍大権現さまとお話してから、また状況が変わったりもしているようです。
豊受大神さまからも書状を戴いたりしました。
この先どうなるやら、と思っていますが、悲壮感はありません。
きっと、みんな何とかなるし、今の自分をきちんと生きていればいいんだろうと一人で納得しているのです。

この場でたくさんの愛を下さった皆さんに感謝いたします。
それが、とある女神様を目覚めさせる鍵だったのです。
そこから連鎖して起こることも計算されて、「意思」はわたしを派遣されました。
目覚めるもよし、目覚めぬもよし、それはひとの愛によるのだと。お前はそこにあれ、といわれて…。
 …あらら?という感じですが…途中から…あ、そうなんだー、と本人は暢気に思うことにします。

だって、わたしは本当に嬉しかったんですから。
たくさんの光と愛をいただいたこと、とても嬉しかったんです。
そういう意味では、わたしはこの時のためにずっと飢えていたのかもしれませんね。
 



2002年9月28日 受信者 桃果さん


         きづきはいつ訪れるのでしょう。
         あなたがたの、心の夜明けはいつになるのでしょう。
         
         夜は必ず明けますが、きづきの夜はいつになっても明けないこともあるのです。
         それは、あなたがたが夜を選ぶからです。
         暗闇を選び、寒いところに居続けることを選んでいるのは自分の心です。

         そこが、自分本来の場ではないときづいてください。
         寒い、と嘆く前に、いいえ、嘆いても、そこを抜け出していいのだと気づいてください。
         
         いいことほど許しを得なければいけないと思わされている人が多すぎます。
         その許しはどこからやってくるのですか。自分ですよ。
         許しとは、本来そういうものではないのです。

         愛は、遍く在ります。光も遍くゆきわたっております。
         そして命も揺らぎの一部。
         サナートクマラどのもそう申されているでしょう。

         愛を満たすことは、おのれを満たすことです。けしてどこかが減ることはありません。
         まことの愛はそういうものです。
         
         おのれを満たしなさい。おのれを癒しなさい。赦しを溢れさせなさい。
         それがおのれを救い、ひいてはやがて地球を救うことにもつながります。

         
         光の龍は放たれました。
         
         生きとし生けるもの、すべての海に還るこのとき、
         天の救いと見るか、それとも闇の到来と見るかは人の意識にかかっているのです。