鏡は人を映す・・・鏡は、あなた自身を自らの意志で映すことです。

常に神々の波動を照らす役目もありますが、神社に参って、心落ち着かせ、あなたの姿と心を鏡に映し、静かに自分という神の存在と向き合うことで、日常の自分の考えや、行いが内なる神の意志で行われたかどうかを確かめ、これからの行動に知恵を頂くことです。

映されてはならぬとは、あなたの意志でそれが行われないということ、すなわち、強制的に誰かにしなさいと言われてするような事を指しています。

(宗教的な行事や、カミゴトも当てはまると言われました。)

皆が無になれば、無を映します。
無とは、ないと解釈されがちですが、ないのではなく、無の境地とは、簡単に言えば、よい、悪いの判断がなくなることを指しています。

あなたが「在る」という存在に気づくことです。いわゆる「悟り」です。

鏡はあくまでも鏡です。壺はまた、違う役割を持っています。
壺は、知恵の器とも解釈されます。

あなた方の知恵は、あなた一人の物ではないということです。
百匹目のサルという話のように、英知は、神々からあなた方に送られてくる、宇宙の全記憶で共有物です。

その知恵が壺から引き出されるという、古代の人の解釈です。

2002年8月8日   受信者テラさん
テレサさんへのレスとして